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鬼滅の刃の作画崩壊や変わった説の真相!CGの違和感はあえて?理由を徹底解説

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こんにちは。エンタメハンターです。

放送されるたびに世界中でトレンド入りする国民的アニメ「鬼滅の刃」ですが、最近ネット上やSNSを見ていると鬼滅の刃の作画崩壊や以前と比べて絵柄が変わったのではないかという意見を目にすることが増えました。

特に刀鍛冶の里編で登場した玉壺の魚のCGが気持ち悪いという感想や柱稽古編でのキャラクターの顔つきの違いに戸惑う声も少なくありません。

あれだけクオリティが高いと絶賛されていた作品でなぜ急に作画がひどいとかおかしいと言われるようになってしまったのでしょうか。

実はそこには制作会社であるufotableの明確な意図と技術的な挑戦が隠されているのです。

記事のポイント

  • 作画崩壊と騒がれたシーンの本当の狙いや演出意図がわかる
  • シリーズが進むごとにキャラクターの絵柄が変わった理由を理解できる
  • CGの違和感や動きのブレが実は高度な技術であることを知れる
  • 無限城編に向けてスタジオが目指している映像の進化を先取りできる

鬼滅の刃の作画が崩壊し変わったと言われる理由

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「神作画」の代名詞とも言える本作「鬼滅の刃」において、なぜ今になって「作画崩壊」や「変わった」というネガティブな検索ワードが浮上しているのでしょうか。

火のない所に煙は立たないと言いますが、ファンの間で議論を呼んだ具体的なシーンや、あまりに高画質すぎるがゆえに生じてしまった視聴者の感覚とのズレについて、いちファンとしての考察も交えながら詳しく掘り下げていきます。

刀鍛冶の里編の玉壺の魚が気持ち悪いという評判

ここ最近で「作画崩壊」という言葉が最も飛び交ったのは、間違いなく『刀鍛冶の里編』の第3話あたり、上弦の伍・玉壺(ぎょっこ)が血鬼術で生み出した「千本針魚殺」などの魚の化け物たちが登場したシーンでしょう。

あのアニメーションを見て、「背景や手描きのキャラから浮いている」「CG感がすごくてヌルヌルしていて気持ち悪い」と生理的な嫌悪感を抱いた人は多かったはずです。これまでの鬼滅の刃は、CGを使う場合でも手描きのセル画に極限まで質感を合わせる「セルルック」な処理が特徴で、それが評価されていました。しかし、この魚たちはあえて「生々しいぬめり」や「リアルな鱗の光沢」を残したまま描かれています。

なぜあのような質感にしたのか?

これは制作側の「意図的な演出」である可能性が極めて高いです。玉壺というキャラクター自体が、芸術家気取りで歪んだ美学を持つ異常な存在です。彼が生み出すクリーチャーもまた、この世の理から外れた「異物」として表現する必要があります。

もし、あの魚たちが可愛らしい手描きイラスト風だったらどうでしょうか?おそらく、あれほどの不気味さや恐怖感は出なかったはずです。視聴者に「なんか変だ」「気持ち悪い」と思わせた時点で、ホラー演出としては大成功していると言えます。

実際に海外の掲示板やSNSでは、「この不気味さが逆に怖い」「CGI(Computer Generated Imagery)を使って化け物の異質さを表現するのは天才的」という肯定的な意見も多数見られます。

つまり、作画が崩れたのではなく、「意図的に気持ち悪いと思わせることに成功した、超高クオリティな映像」だったというのが真相でしょう。

柱稽古編で作画や絵柄が変わったと感じる原因

続いて話題になったのが、『柱稽古編』におけるキャラクターデザインの微妙な変化です。「炭治郎の顔つきが変わった」「全体的に線が濃くなった気がする」と感じた鋭い視聴者も多いのではないでしょうか。

これは決して作画監督が変わって絵が下手になったわけではありません。物語のシリアスな展開と、キャラクターたちの成長に合わせたポジティブなアップデートです。

変化のポイント具体的な理由
筋肉描写の強化岩柱・悲鳴嶼行冥のもとで行われた過酷な修行(柱稽古)を経た隊士たちの、ビルドアップされた肉体を表現するため。血管や筋肉の陰影がより詳細に描き込まれています。
劇画タッチへの接近最終決戦に向けて物語の空気が重くなるにつれ、初期のコミカルな線よりも、より重厚で情報量の多い「劇画」に近いタッチへとシフトしています。

特に最終話のクオリティは、テレビシリーズの枠を完全に超えていました。爆発のエフェクトや夜の闇の表現など、撮影処理(コンポジット)の密度が格段に増したことで、画面全体の質感が「劇場版」レベルに引き上げられました。情報量が多すぎて、従来のテレビアニメを見慣れている目が「絵が変わった(濃すぎる)」と認識してしまったのです。

アニメのCGと手描きの違和感が崩壊と誤認される

私たち視聴者は、無意識のうちに「アニメとはこういうものだ」というバイアスを持って画面を見ています。通常のアニメでは、背景は止まっていて、キャラクターだけが動くことが多いですよね。しかし、ufotableの作品はその常識を覆してきます。

特に話題になるのが、「3D背景と2D作画の融合」が生み出す違和感(Cognitive Dissonance)です。

例えば、無限城のような複雑な空間をキャラクターが高速で移動するシーン。背景は3Dで作られており、カメラワークに合わせてダイナミックに回転したり奥行きが変化したりします。その上に乗るキャラクターは手描きですが、地面への接地の仕方やパースの整合性が完璧すぎると、逆に「人間が動いている感じがしない」「ゲーム画面のようにヌルヌルしすぎている」という感覚に陥ることがあるのです。

脳が追いつかない現象

これは「不気味の谷」現象にも似ています。技術レベルが高すぎて実写に近づけば近づくほど、わずかな嘘(アニメ的な表現)が目立ってしまい、「何かがおかしい」と感じてしまうのです。

この「技術の進化による摩擦」を、直感的に言語化できず「作画がおかしい=崩壊している」と表現してしまうケースも少なくありません。贅沢な悩みと言えばそれまでですが、あまりに映像が凄すぎると、逆に違和感を生むことがあるという好例です。

動きのブレを表現するオバケ手法と作画ミス

ネット上で「作画崩壊の証拠」として拡散される画像の中には、激しい戦闘シーンの一瞬をスクリーンショットで切り抜いたものがあります。顔が歪んでいたり、手足がゴムのように伸びていたりする画像を見たことがありませんか?

「こんな絵を放送するなんて!」と批判する人もいますが、これはアニメーションの古典的かつ高等な技法である「オバケ(Smear Frames)」である場合がほとんどです。

オバケ(Smear Frames)とは?

素早い動きを表現するために、あえて残像を描いたり、物体を引き伸ばして描いたりする手法のことです。1秒間に24枚などの絵が連続して流れる中で、この「歪んだ絵」が一枚挟まることで、人間の目には「滑らかなスピード感」として認識されます。

鬼滅の刃のような剣戟アクションや高速戦闘が多い作品では、この技法が多用されています。これを静止画で切り取って「デッサンが崩れている」と指摘するのは、アニメーションの仕組みを誤解していると言わざるを得ません。動画として再生したときにカッコよく見えれば、それは作画成功なのです。

鬼滅の刃の作画は崩壊ではなく変わった進化の証

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ここまで見てきた通り、ネガティブな意見の多くは誤解や演出意図のすれ違い、あるいは技術が高すぎることによる副作用でした。では、なぜこれほどまでに鬼滅の刃の映像は変化し続けるのでしょうか。

ここからは視点を変えて、その裏にあるufotableの戦略と原作へのリスペクト、そして来るべき未来について解説します。

無限城編に向けたufotableの映像技術

『柱稽古編』での作画の劇的な変化は、これから始まる最終決戦『無限城編』劇場三部作への布石だと私は確信しています。

無限城は、上下左右の感覚がなくなり、重力が無視された複雑怪奇な3D空間です。そこで鬼殺隊と上弦の鬼たちが入り乱れて戦う映像を作るには、従来の2Dアニメの限界を突破する必要があります。単に絵が綺麗なら良いというレベルではなく、空間そのものを構築し、その中でカメラを自在に回す技術が求められるのです。

ufotableは、社内に「撮影」「CG」「作画」の部門をすべて抱えており、アニメ業界でも類を見ないほど高い内製率を誇ります。

  • 部門間の密な連携: 同じ社屋にスタッフがいるため、「このカットはどうすれば一番映えるか」をCG班と作画班が隣同士で話し合いながら調整できます。
  • 安定した収益基盤: 「ufotable Cafe」やグッズ販売などで得た収益を、制作費やスタッフの技術向上に還元するサイクルが出来上がっています。

「作画崩壊」どころか、彼らは潤沢なリソースを使って、誰も見たことのない映像体験を作ろうとしています。あの「変わった」と感じる絵作りは、無限城という特異点に挑むための、スタジオ自体のレベルアップ(ウォーミングアップ)の証拠なのです。

原作漫画の味とアニメのリアルな画風の違い

原作ファンの中には、吾峠呼世晴先生独特の「味のあるタッチ」と、アニメの「整いすぎた美麗な絵」のギャップに、少し寂しさを感じる人もいるかもしれません。

原作の絵は、大正時代の版画のような荒々しさや、どこか古風でユーモラスな「ヘタウマ」な魅力があります。線一本一本に感情が乗っているような、アナログ特有の温かみですね。一方、アニメ版はそれを幾何学的に整え、最新の光影処理(エフェクト)でコーティングしています。

「原作の雰囲気が薄れた=作画が変わった」と感じるのは無理もありません。しかし、これは漫画という静止画媒体を、アニメーションという動画媒体として世界中の人々に届けるための「翻訳」作業でもあります。

例えば「水の呼吸」の表現を見てください。原作の浮世絵のような波の表現を、アニメでは3Dと作画を組み合わせて、実写のような水飛沫とイラスト的な波紋を同時に表現しています。ufotableは原作の「熱量」や「ニュアンス」を拾うことにかけては執念のようなこだわりを見せており、表現方法は違えど、その魂は確実に継承されています。

むしろ、「原作の絵をそのまま動かす」ことだけが正解ではなく、「アニメとして最適化する」ことこそが彼らの誠意なのだと思います。

鬼滅の刃の作画が崩壊や変わったという噂の結論

結論として、「鬼滅の刃 作画 崩壊」「作画 変わった」という噂の正体は、品質の低下や現場の混乱ではありませんでした。

それは、「3Dと2Dの融合という挑戦的な演出」に対する違和感や、「物語のクライマックスに向けた意図的な画風の進化」に対する、視聴者の驚きや戸惑いが検索行動として表れたものです。

まとめ

  • 玉壺の魚は「気持ち悪い」と思わせるための成功した演出。
  • 絵柄の変化は、キャラの成長とシリアスな展開への対応。
  • 「作画崩壊」に見える画像の多くは、動きを表現する「オバケ」技法。
  • すべての変化は、来るべき『無限城編』への技術的な布石。

私たちは「作画崩壊」という粗探しをするのではなく、次にどんな「見たことのない映像」を見せてくれるのか、その進化を楽しむべきフェーズにいます。

劇場版三部作『無限城編』では、きっと私たちの度肝を抜くような、さらに「変わった」すごい映像が待っているはずです。いちファンとして、その進化を最後まで見届けたいですね。

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